端午の節句はいつ?五月飾りはいつからいつまで飾ればいいの?/風習や食文化も紹介

端午の節句はいつ?五月飾りはいつからいつまで飾ればいいの?/風習や食文化も紹介

「端午の節句」五節句の中でも大変多くの文化が引き継がれている節句です。今でも全国的に伝わっているものや、地域限定で伝わっているものもあり、こっれって全国共通じゃないの?と思うものまであります。今回は時期ばかりでなく、端午の節句のいつ・風習や食文化も紹介していきます。

記事の目次

  1. 1.端午の節句はいつ?
  2. 2.端午の節句の歴史
  3. 3.生活文化としての端午の節句
  4. 4.食文化としての端午の節句
  5. 5.端午の節句おすすめ商品の紹介
  6. 6.端午の節句のまとめ

端午の節句はいつ?

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端午の節句は5月5日で菖蒲の節句とも言われます。五が重なるので重五(ちょうご)とも言われています。5月5日は言わずと知れた「こどもの日」ですが、1948年に「国民の祝日に関する法律」が施行されるまでは「端午の節句」として祝われていました。

端午の「端」は始めとか最初という意味で、端午は「月初めの午(うま)の日」を指しています。また旧暦では「午の月」とは5月のことで、5月の最初の牛の日が端午の節句となったと言われていますが、諸説あるそうです。後に「午」が「5」に通じることから55日を「端午の節句」として固定されたようです。

端午の節句と言えば、「こいのぼり」「兜」「菖蒲」「柏餅」「ちまき」「草餅」など独特の風習や食べ物があります。この記事では「端午の節句」の歴史と、これらの風習についても紹介していきます。
 

端午の節句の歴史

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端午の節句の原点は中国にあり、端午節には菖蒲などの薬草を厄除けに用い、菖蒲は刻んで酒に混ぜて飲むことが6世紀の中国の南朝梁・隋朝時代の文献に記されています。日本では奈良時代には菖蒲で作った髪飾りである「菖蒲のから」等の記述が残っています。

ここでは、奈良時代から日本の生活文化としての端午を見ていきたいと思います。

奈良・平安時代の端午の節句

元々は中国の風習でしたが、それが日本に伝わったのは奈良時代だと言われています。奈良時代や平安時代の端午の日は災厄を避けるための行事が行われる大切な日でした

宮廷では菖蒲やよもぎを軒に挿し、また、そこに仕える人たちは冠に菖蒲を飾ったり、菖蒲の葉で作ったくす玉を柱から下げて飾ったりしました。また、朝廷を中心に馬上から弓を射る騎射(うまゆみ)や今で言う競馬のような競馬(くらべうま)などの催しも行われました。

庶民の中でも悪鬼を退治する意味で、軒に菖蒲を挿し、子ども達が小さな弓を引いたり、印字と呼ばれる石合戦などを行っていました。印字は江戸時代ころまで行われていましたが、危険なため中止されたという経緯を持っています。

鎌倉時代の端午の節句

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鎌倉時代になると宮廷での端午の行事はあまり盛んでなくなりました。一方武家の力が大きくなり武家の間に、「菖蒲」を武道・武勇を重んじることを表す「尚武」に通ずるとして、端午の日を大切にするようになり、男児が生まれると、兜や太刀などを贈ってお祝いする風習ができました

また、庶民の間でも菖蒲湯や菖蒲枕、菖蒲酒など、菖蒲に関する風習が盛んとなったのもこの頃です。

災厄を避けるための日である端午から、男児の成長を祝う端午となったのは、この時代頃からだと考えられます

江戸時代の端午の節句

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江戸幕府は端午を重要な日として式日としています。大名や旗本は正装して江戸城に上がり、将軍にお祝いを述べるようなことも行われていました。また、将軍に後継ぎが誕生した時には、城にのぼりを立て、槍、薙刀、兜などを飾り、誕生の祝いが盛大に執り行われました

庶民の間でも武士の気風をまね、初節句には外に作り物の兜などを飾ったりしました。やがて屋内に飾られるようになり、小ぶりの内飾りとなり、外飾りする時には、武者絵が描かれたのぼりとともに飾りました。

江戸の中期頃からは、小さな鯉のぼりをあげるようになり、その後大型化していきました。また、子ども達の間では、菖蒲切りというチャンバラが流行り、後に菖蒲を束にして地面を叩き、菖蒲打ちという叩いたときの音の大きさを競う遊びへと変化していきました。

近世の端午の節句

武士の時代が終焉を迎え、明治新政府は節句行事の廃止を決め、新たに国の祝祭日が定められました。祝祭日は天皇中心の行事の日の定めで、5月5日の定めはありませんでした。しかし、男児誕生を祝い、成長を祈願する日は庶民の中に浸透してしていて、一時的に衰えていた風習も復活しています

そして、第2時大戦後の「
国民の祝日に関する法律」では5月5日が「こどもの日」として国民の祝日となり現在に至っています。

生活文化としての端午の節句

端午の節句には、武者飾り、兜飾り、鯉のぼりなど生活文化として伝わっているものがたくさんあります。その代表的なものであるこいのぼりと兜飾り、そして菖蒲やよもぎについて紹介します。

こいのぼり

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やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

これは皆さんもよく知っている「こいのぼり」という1931年頃の童謡で作曲は誰だか分かっていませんが、作詞は近藤宮子さんがされています。

でも、この歌詞の中にお母さんがいません。なぜでしょう?鯉のぼりの歴史をたどりながらその理由を探っていきましょう。

鯉のぼりが揚げられるようになったのは江戸時代

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端午の歴史の中でも触れましたが、鯉のぼりが揚げられるようになったのは江戸時代、しかも庶民の中で生まれた風習です。もともと、こいのぼりは立身出世の象徴で、男児の健やかな成長を願い立てられるものです。

鯉のぼりの一番上に付けられる吹き流しは、万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという五行説に由来し、邪気を払うという意味があります。江戸時代に将軍に世継ぎが生まれた時に五色(赤・青・黄・白・黒)の吹き流しを立ててお祝いしていました。

庶民が行っていた鯉のぼりも始めは紙に鯉の絵を描いたものでしたが、次第に布で作くられた黒の真鯉を揚げるようになりました。歌川広重の「名所江戸百景」には黒の真鯉1匹が揚げられている浮世絵があります。しかし、この風習は関東地方で行われていたもので関西にはなかったようです。

明治時代から増えていった鯉の種類

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明治・大正の時代になると黒い真鯉と赤い緋鯉の2匹で一対で揚げるようになってきました

前述の「こいのぼり」の歌もこの頃のもので、真鯉を父親、緋鯉を子供としている訳です。

昭和30年頃には小さな青鯉も揚げられるようになり、家族観や女性観の変化に伴い緋鯉を母親、青鯉を子どもするようになり、幸せな家族を表すようになってきました。そして今では兄弟姉妹の緑やピンク、紫などの鯉も揚げられています。
 

鎧兜飾り(五月人形)

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鎧兜飾りは武家が台頭してきた鎌倉から室町時代に武家の中で行われた風習です。旧暦の端午の節句は今の暦で言う6月頃に当たり、これから梅雨に入ろうとする頃になります。この時期に武家では鎧や兜などの武具を出して、梅雨前に虫干しをするという習わしがありました。それが鎧兜飾りの始まりだと言われています。

武士にとって鎧兜は身を守るための道具ですので、それを飾ることにより、子供の身を守り健康な成長を願うという端午の節句の風習に変化していきました

兜と一緒に飾られる弓は端午の節句ののぼりにも描かれる知恵を授け、疫病除けの神様である鍾馗(しょう き)に由来し兜に向かって左側に置きます。また、弓と合わせて飾る破魔矢や太刀は縁起の良い飾り物として、右側に置きます。

鯉のぼりや鎧兜を飾るのはいつからいつまで?

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一般的に春分の日(3月20日頃)から4月中旬までに飾るのか良いとされています。お正月の飾りと同じで、前日の5月4日にあわてて飾るのは一夜飾りとなり、避けましょう。

五月飾りは前にも触れたように虫干しも兼ねていますから、梅雨入り前の5月中旬までには片付けましょう。雛人形のようにいつまでも飾っておくと婚期が遅れる、などという言い伝えはありませんので慌てて片付ける必要もありません。

また、年中飾っている家庭もあります。

菖蒲やよもぎ

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端午の節句は「菖蒲の節句」と言われるほど端午の節句と菖蒲は関わりの深いものです。また、菖蒲が「尚武」や「勝負」と通じることから、男児の強く健やかな成長を願う端午の節句には欠かせないものとなっています。

節句は季節の変わり目のことを言い、端午の節句は春から夏への季節の変わり目に当たり体調を崩しやすい時期でもあります。そして、これから始まる田植えに備えて、十分な鋭気を養っておく必要がありました。そんな時期を乗り切るために利用されたのが菖蒲です。

菖蒲の葉から出る強い香りは、人の健康を保ち、邪気を祓う力があると信じられていました。菖蒲湯に入浴し、菖蒲酒を飲み、菖蒲枕で眠るなど様々な形で菖蒲は使われました。また、こうした薬効だけでなく、よもぎと菖蒲を一緒に束ね家の軒に飾って邪気を祓うという風習も 古くから行われています。

食文化としての端午の節句

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「柏餅」は関東で、「ちまき」は関西から始まった端午の節句の食べ物です。関東でも「ちまき」と呼ばれる食べ物はあるようですが、おこわを竹皮で包んだ中華ちまきのことを指し、特に端午の節句に食べるという習慣はないようです。

関西で柏餅が広がらなかったのは、単純に柏の木は関西にはあまりないからです。また関西人の伝統を重んじる気質もあったのかもしれません。

また、南九州地方では木や竹を燃やした灰から取った灰汁に餅米を1昼夜つけておき、その餅米を竹皮に包み、灰汁を加えながら煮込んで作る餅菓子を「灰汁巻き」と言い、その別名がちまきで端午の節句に食べられています。また、各地方では様々な食文化が発展しています。

柏餅

柏は食べ物を包んだり、覆ったりする植物の葉の総称で「炊葉(かしきば)」が語源ではないかと言われています。また、「万葉集」には「家にあれば笥(け)に盛る飯を草枕旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る」とあり、堅い葉を簡易的な食器として使った事が記されていて、柏も食器として使われていた身近なものであり、また神聖な木でもあったようです。

端午の節句に柏餅を食べるという風習は日本独特のもので、始まりは江戸時代の江戸にあったとされています。江戸時代初期の歌には柏餅を歌った俳句や短歌が詠まれていますが、端午の節句に限らず食べられていたようです。それが端午の節句の季節のお菓子となったのは、柏は新芽が出ないと古い葉が落ちないことから跡継ぎが途絶えないに結びつき、子孫繁栄を願うための縁起の良いお菓子とされたからです

柏餅の中に入れる餡にはつぶ餡、こし餡、味噌餡などがあります。店で売られている柏餅に、柏の葉の表面(つるつるの方)を外に出しているものと、裏側(毛のある方)を外に出しているもの2種類が並んでいることがあります。この違いは前者がつぶ餡かこし餡のもので、後者が味噌餡のもとなっています。

ちまき

古代中国の有能な武人である屈原(くつげん)が泪羅(べきら)という湖に身を投げた日が5月5日でした。その屈原の姉が弟を弔うため、竹の筒に米を入れ湖に投じて鮫竜(こうりょう)を祀ったのが始まりだと言われています。

日本には奈良時代から平安時代にその風習が伝わり、端午の節句に厄除けや無病息災を願ってちまきを供え、食べるようになりました。元々は全国で食べられていましたが関東では柏餅が端午の節句のお菓子となりました。

また、日持ちがよく、簡単にできることから携帯食として使われ、餅米を茅の葉や熊笹に包み蒸しあげて千巻・茅巻と称して食べることが、地方よっては今も行われています。

その他にもいろいろ

ちょうど端午の節句の辺りで食べごろを迎える「筍」もよく食べられています。竹のように、まっすぐ元気に育ちますようにという願いが込められています。

また、「勝男」にも通ずるカツオや、スズキやブリのような出世魚も将来の子ども達の活躍を願ってよく食べられます

各地方にも端午の節句のそれぞれの食文化が発展しています。北海道や東北地方の木の葉の形のツートンカラーの餅が基本の「ベこ餅」、山形県や島根県の餅を笹で包んだ「笹巻」、長野県木曽地方の朴(ほお)の葉に包んで蒸した餅の「朴葉巻」、長崎県や佐賀県、熊本県の鯉をかたどった「鯉生菓子」など色々です。

端午の節句おすすめ商品の紹介

Photo by kanonn

コンパクトサイズでマンション等でも飾りやすい五月人形と、各地の端午の節句に食べられるお菓子などを紹介します。

五月人形 兜飾り 陶器 染錦出世兜(大阪 長生堂)

五月人形 兜飾り 陶器 染錦出世兜

参考価格: 3,280円

出典: Amazon
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Amazon3,280円
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横幅14.5×奥行11×高さ11cmのコンパクトサイズの兜で、マンションなどの玄関にも手軽に置くことができます。兜は陶器でできていて、瀬戸物の産地である愛知県の瀬戸で焼かれたものです。

兜・座布団・飾り台・屏風がセットになり箱入りとなっています。長生堂オリジナル 名入れ 木札が付属しています。

五月人形 兜ケース飾り 兜飾り 藤翁作 宝玉兜(人形屋ホンポ)

五月人形 兜ケース飾り 兜飾り

参考価格: 34,540円

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Amazon34,540円
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間口48×奥行29×高さ44cmの省スペースでコンパクトに飾ることができる兜ケース飾りです。

厚型の大鍬形や吹き返しの装飾など、丁寧に作りこまれている製品です。箱からケースを取り出し、そのまま飾ることができます。

ケースで人形が保護されていますので、埃もつきにくく手入れのしやすい商品です。

セット品の名前プレートは同梱されているハガキに名前や生年月日を記入してポストに投函すれば、2週間程度で自宅に届くようになっています。

冷凍ちまき 50g×3本(化学調味料・合成着色料・合成保存料無添加)

冷凍ちまき 50g×3本

参考価格: 594円

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国内産上新粉、砂糖、植物油脂、食塩、酵素(大豆由来)を原材料とした冷凍ちまきです。化学調味料・合成着色料・合成保存料は無添加で安全に食べられます。

食べる分を2~3時間自然解凍させてから食べます。賞味期限は約1年です。

関東の方などでちまきを食べてみたいという方にも最適です。

あんこの内藤 柏餅手作り材料セット(こしあん450g)

あんこの内藤 柏餅手作り材料セット(こしあん450g)

参考価格: 1,530円

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こしあん450g、上用粉300g、柏葉20枚をセットにした柏餅を20個自宅で作ることができるセットです。 砂糖・片栗粉・塩はついていませんので、各家庭で用意する必要があります。

賞味期限はこしあんが3ヶ月(開封後は冷蔵にて約2週間)、上用粉と柏葉は6ヶ月となっています。つぶ餡の製品もあります。

こどもの日にお子様と一緒に作るのに最適なセット商品です。

べこ餅よもぎ 12個入り(小樽 野島製菓)

小樽 野島製菓 べこ餅よもぎ

参考価格: 1,815円

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北海道や東北地方で端午の節句に食べられる「べこ餅」の12個入りです。伝統的な葉の形をした製品です。沖縄の最高級純黒糖を使用しています。

独自の密着包装で熱殺菌処理を施した、衛生的で且つ安全性の高い製品となっています。受注生産となっていますので、出来たてを送ってもらえます。

保存は常温で構いませんが、賞味期限は発送日より30日間となっています。

黄金笹巻き10個(青きな粉・黒蜜付)

黄金笹巻き10個[青きな粉・黒蜜付]箱入

参考価格: 2,484円

出典: Amazon
出典: 楽天
Amazon2,484円
楽天2,484円

山形の庄内地方で端午の節句に食べられる「笹餅」です。鶴岡市の甘味処押井本家の黄金笹巻きは、伝統の味を大切にするために、昔からの作り方と同じように手作りで作られています。

もちもちとした食感とほのかに香る笹の香りが美味しさを引き立てています。

青きな粉・黒蜜付が付き、1個約90~100gのものが10個のセットになっています。原材料はもち米(特別栽培でわのもち)、笹葉、灰汁、重曹、青きなこ、液糖、果糖ぶどう糖液糖、黒砂糖、三温糖、水飴、カラメル色素です。

鯉生菓子「出世鯉」(熊本 御菓子処 天明堂)

鯉生菓子 出世鯉 中

参考価格: 2,916円

御菓子処 天明堂(熊本)2,916円

写真は商品のものと異なります。

熊本県、長崎県、佐賀県などで5月の節句の内祝いとして古くから親しまれてきた鯉生菓子の「出世鯉」です。

さらりと上品な自家製こし餡を上等練り切り餡で包んだ高級和菓子で、一つ一つを職人が熟練の技で作り上げています。

小サイズが2,376円、中サイズが¥2,916円、大サイズが3,456円となっています。

端午の節句のまとめ

Photo by Cool-Rock.com


「端午の節句」は長い歴史の中で育まれた、日本文化の一つです。時代によって変化を重ねてきたように、現代の生活の中でも少しずつ変化をさせながら伝統を引き継いでいきたいものです。

Window Forest
ライター

Window Forest

ご覧いただきありがとうございます。できるだけ誰にでも分かりやすい記事の執筆に心がけていきたいと思います。今後とも宜しくお願いします。

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